僕たちは遠い未来に何かを残せているんでしょうか?
桜の時期になると「僕たちは遠い未来に何かを残せているのか」と考えることがあります。
というのも、桜って十数年~100年以上前の方々が植えたもの。
例えば高遠城址公園も、上越高田城もその当時のお殿様がみんなが楽しめるために植えたもの。
僕の実家近くにある西山公園千本桜も4代前の諏訪市長が植えたもの。
多分ですが、ちゃんとご子孫のことや地域の皆様のことを考えていたんだと思います。
そう考えると…
僕たちは遠い未来に何かを残せているのか?
先人たちが残してくれてものを使っているだけなんじゃないか…
そんなことを考えてしまうことがあります。
さくら道はご存知でしょうか?
日本海から太平洋まで桜のトンネルをつなげようと苗木を植え続けた方がいらっしゃいました。
僕は若い頃にこの道を自転車で走る「さくら道ネイチャーサイクリング」で知りました。
植え続けた方も、ご自身が感動した桜を多くの方に楽しんでもらいたい一心で植え続けたそうです。
使うだけではなく残すこと。
こじつけかもしれませんが、桜を見るとそう考えることがあるのでした。
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