世界を震わせた音楽 ~ 今日はデビットボーイの命日です。
2022/01/10
今日1月10日はデビットボーイの命日です。
中学の頃通っていいた塾の先生の影響で洋楽を聞くようになり彼を知りました。
いまでも、ソロだけではティン・マシーン楽曲もよく聞いています。

デビットボーイは歌しか知りませんでしたが、2年前にNHKの番組「たけしのその時カメラはまわっていた」の「世界を震わせた音楽」で彼をもっと好きになるエピソードを知りました。
ベルリンの壁が崩壊する前、彼がベルリンの壁の西ベルリン側でコンサートを開催したという話でした。
彼は、一時期、西ベルリンに在住していて、そのときにリリースされたアルバム『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』は「ベルリン三部作」とも呼ばれていて、特に『ヒーローズ』の表題曲では、ベルリンの壁の監視塔の下でデートを重ねる恋人のことが歌われていました。
ベルリンでのコンサートではドイツ語で
今夜はみんなで幸せを祈ろう。
壁の向こう側にいる友人たちのために」と呼びかけたそう。
このコンサートで設置されたスピーカーのうち4分の1は、東ベルリンに向けられていたそう。
壁の向こうの東側には、コンサート前から若者たちが集まり、その数は5000人にもふくれあがり、終演後も群集はなかなか立ち去らず、東ドイツ当局による逮捕者も出たそうです。
このコンサートを通じて東側の自由を知った東側の人たちは、その2年後にベルリンの壁を崩壊させることになります。
これは彼がなくなってからドイツ外務省が「壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と弔辞を送ったことからも相当影響があったんだと思います。
文字通り「世界を震わせた音楽」の一人だったし、音楽ってスゴイなと思うのでした。
中学の頃通っていいた塾の先生の影響で洋楽を聞くようになり彼を知りました。
いまでも、ソロだけではティン・マシーン楽曲もよく聞いています。

デビットボーイは歌しか知りませんでしたが、2年前にNHKの番組「たけしのその時カメラはまわっていた」の「世界を震わせた音楽」で彼をもっと好きになるエピソードを知りました。
ベルリンの壁が崩壊する前、彼がベルリンの壁の西ベルリン側でコンサートを開催したという話でした。
彼は、一時期、西ベルリンに在住していて、そのときにリリースされたアルバム『ロウ』『ヒーローズ』『ロジャー』は「ベルリン三部作」とも呼ばれていて、特に『ヒーローズ』の表題曲では、ベルリンの壁の監視塔の下でデートを重ねる恋人のことが歌われていました。
ベルリンでのコンサートではドイツ語で
今夜はみんなで幸せを祈ろう。
壁の向こう側にいる友人たちのために」と呼びかけたそう。
このコンサートで設置されたスピーカーのうち4分の1は、東ベルリンに向けられていたそう。
壁の向こうの東側には、コンサート前から若者たちが集まり、その数は5000人にもふくれあがり、終演後も群集はなかなか立ち去らず、東ドイツ当局による逮捕者も出たそうです。
このコンサートを通じて東側の自由を知った東側の人たちは、その2年後にベルリンの壁を崩壊させることになります。
これは彼がなくなってからドイツ外務省が「壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう」と弔辞を送ったことからも相当影響があったんだと思います。
文字通り「世界を震わせた音楽」の一人だったし、音楽ってスゴイなと思うのでした。